丘と谷津の硲に憩う

あちこちほっついて身に覚えたことをしたためようと

ゆとり世代の上の世代:私らの世代について考えられちゃった

私のはてなブックマークにも登録してあった記事だけど、再考がなされたようだ。ちょっと気になってた論考だからちょっとコメントを。いやあ、ちょうど1986年という、旧指導要領最後の学年なもので、興味が沸いた次第です。
結論を端的に述べればスキマの世代だよね、と。だとすれば、今まで十把一絡げにされなかった理由もなんとなく察してこられる。要するに、前回の考察では括りようが無かった。ちょうど過渡期にあたる世代だと推察なさってる。これが正しければ、失われた世代からゆとり世代への過渡期がその世代だった、と。これならば明らかな名が無かったのも理解できる。
ただ、ゆとり世代に対する見方が「バカ」「考え(料簡)が浅い」といった後ろ向きなものしか見受けられない。で、上といえば上で「就職氷河期」「不遇の世代」といった外的環境の評ばかりが先行して世代の"人となり"がどうも散見すらされない。これってどうなんだろう。条件が不釣合いに思われる。これを無理やり解釈すれば、私らの世代は不遇じゃなくなってきたけどバカになりつつあるね、ってことだろうか。なんか、二つある入力ライン(見方)をクロスフェードしているみたいで腑に落ちない。

私の場合

周囲の人を見れば、確かに第二次断層世代に当てはまる人も多い。ただ、私自身はどちらかといえばポスト団塊ジュニアに当てはまる項目のほうが多い。単に個人差なんだろうけど、親の影響がでかいのだろう。親は1949年生まれ。ちょうど団塊の世代末期だ。
ただ、投げやり感とかは持たないつもりだから、その辺りは周りに感化されたか。似る点はあるとはいえ、やっぱりポスト団塊ジュニアとは違うと感じる。
そんな生き方続けていって大丈夫なの?と問いたくなる人もちらほらいる。みんなのことをきちんと見ててしっかりした方だなと尊敬する反面、その大変な生き方を10年後も続けている気なのだろうかと、こちらが気を揉んでしまうような方が数名知り合いにいる。この辺りはやっぱり育ち方が違ったんだろうと感じる。