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柏そごうの栄えた「記憶の継承」を考える

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柏駅西口北の桜、私も撮りました。曇りでしたがきれいでした。 f:id:wind_sky86:20160402164111j:plain

柏そごうの歴史が終わろうとする今年から先、柏駅東口は新たなものになろうはずです。その時に「柏そごうの栄えた歴史」「のどかな柏駅西口北の風景」を次世代へどう受け継いでいくべきかを気にかけてほしい、というのを上記のブログでは呼びかけています。

考えるに際して私が思ったのが、そもそも要るのかという判断もあってよいのでは、ということでした。

記憶の継承をしたら何になるのかという点でいえば何になるかがあいまいで、べき論ベースで語れば“やっぱり要らない”となることも考えられます。そうすると、有意義な要素を個別に判断していく必要があるように思います。

しかし、それは博物館や文書館などの立場から見れば資料の散逸に他なりません。後の時代から振り返ってその時代の趣を味わうには現時点で無意味と判断された資料をも含めて丸ごと見聞きして場の空気を想像する過程が必要ですが、散逸してしまえばそれがままなりません。

とはいえ建物や植物含めた地域全体を保存するのは現実的でありませんし、新しさを提供する上での足枷にもなりかねます。そうした意味で「記憶の継承」って難しいと感じます。

私は柏駅西口北地区の再開発組合の関係者でもなければセブン&アイの回し者でもありませんのでなるようになるのを見つめるほかないのですが、昭和48年から平成28年までの一時代が終わった由を見つめて新たな柏駅北口ができれば、そごうも桜も報われるのかな、と思いました。まる。